こんにちは、アヤト(@ayato_gid)です。
「信用を稼げ!」
「信用を積もう!」
「信用を稼ぐためにはGIVE&GIVE。さらにGIVE」
って、最近このような声をよく聞きます。
僕も聞いたときは、「信用」を稼ぐためにGIVEすることが必要なのか。と、思ってました。
だけど、最近こんなことを考えてました。
信用を積めよう!ってよく聞くけどら信用って積むものじゃない気がする。
その信用って計算された信用というか
信用を得るんだ!って意識してギブ&ギブしても、それって本当の信用なのかな。信用は、意識して作るものなのかな。
自然と相手にギブできることが信用に繋がるんじゃないかな。
— アヤト@2月いなフリ都留 (@ayato_gid) 2018年1月5日
信用って、稼ぐものじゃないし作るものでもない。
信用を得るためにGIVEしてもそのGIVEって、「信用」を稼ぎたいからGIVEするという計算された信用になってしまうよね。
それは、信用にならないし相手のためのGIVEにもならない。
信用を稼ぐためにGIVEする。ではなくて、自然にGIVEをしてたら信用が集まっていた。の方が正解じゃない?
GIVEもGIVEするぞ!と意識してGIVEするものじゃないと思う。
GIVEは、自然に生まれてくる。
そして、自然にGIVEする。はこういうことだと思うんです。
自分の知識や経験などを誰かに教えたい。伝えたい。という想いが熱ければ熱いほど相手に伝わるんやとおもう。
だから、やぎぺーさんとかめちゃ伝わってくる。
誰かに教えたい。伝えたい。という熱が伝わってくる。
俺も自分の中でその熱を見つけ出す。
— アヤト@2月いなフリ都留 (@ayato_gid) 2018年1月5日
この「教えたい」「伝えたい」って、信用を稼ぐためのGIVEではなくて、自然に生まれてきたGIVEなんですよね。
だから、「教えたい」「伝えたい」という熱がものすごく伝わってくるんです。
そしてこの熱が、自然とGIVEに変わっているんですよ。
だけど、「教えたい」「伝えたい」だけがGIVEになるわけではなくて、自分が誰かに「〜したい」と思って行動にしたらそれがもうGIVEになっているんですよね。
例えば、スーパーで重い荷物を持っててよろよろしているおばあちゃんを見たとき、「助けたい」と思って代わりに荷物を持つ。
これは、「親切」にも見えますがGIVEにもなっているんです。
そして、おばあちゃんからしたら「ありがとう」という気持ちが生まれますよね。この「ありがとう」が、信用に繋がるんじゃないかな。
信用を稼ぎたいからGIVEする。は、自分勝手すぎるしうわべだけの信用になってしまう。
価値のある信用が欲しいなら、自然とGIVEができる環境を作る方が大切。
今回は、「信用」はそもそも稼ぐものじゃないよ。という短い記事でした。
では、また。
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