世間の普通というレールを歩いている人が羨ましかった。だけど、そんなレールは無かった。

こんにちは、アヤト(@ayato_gid)です。

 

 

僕は、世間の普通がうらやましかった。

 

・制服をきて学校に登校する。

スーツをきて就活をする。

就職した会社でずっと働く。

好きな人と結婚する。

子どもをつくる。

 

 

僕には、これが世間の普通だったと思っていました。

そして、どれもこれも羨ましかった。

 

 

 

 

 

 

生まれた時点で「世間の普通というレール」から外れていた。

 

僕は、性同一性障害として生まれました。

この時点で僕は、「世間の普通というレール」から外れたのです。

そして外れたレールを歩いていた僕は、世間の普通というレールの上に乗ろうと何度も這い上がろうとしました。

 

 

僕が思う世間の普通を、普通にできている人たちがうらやましかった。

ただただ普通にうらやましかったのです。

 

そして、普通のことを普通にできる人が、僕の周りにたくさんいました。

そんな中、僕はできませんでした。

 

僕は、普通のことを普通にできなかったのです。

 

 

 

 

 

外れたレールの上で歩いていることを認めたくなかった。

 

「性同一性障害だから、普通のことを普通にできない。」ということが嫌で、外れたレールを歩いているという現実を受け入れたくありませんでした。

 

外れたレールを歩いている自分自身を認めたくなかったのです。

でも、現実はできないことばかりでした。

 

性同一性障害という理由でできない自分が嫌で、何度も自分に「自分は普通だ。できる。」と言い聞かせてきました。

それを繰り返して、僕が思う世間の普通になろうとしたのです。

 

 

でも、その思いや行動は間違いであることに気づきました。

 

 

 

 

 

自分が歩くレールには、世間の普通というレールは存在しない。

 

レールを「人生」と置き換えます。

この「人生」には、世間の普通は必要なのでしょうか?

一番必要とされることなのでしょうか?

 

僕は、「人生」に世間の普通は必要だと思いません。

いや、そもそも「世間の普通」なんてものは、存在しないのです。

 

なぜなら、僕(あなた)の人生は、僕(あなた)にしか歩けないからです。

 

僕の人生は、僕の人生。

あなたの人生は、あなたの人生。

 

この人生に世間の普通などありません。

自分自身がどう歩いてどう進むかだけです。

 

だけど、自分の人生だからといって自分の人生だけを見ればいいというわけではありません。

 

「人生」は、冒険ゲームと同じです。

冒険をしてる途中に、一緒にクエストをクリアしてくれる仲間を増やしたり、困っている人を助けたり。

そして、いろんなモンスターと戦い自分のレベルを上げていくのです。

 

 

 

人生に、世間の普通は存在しません。

 

人生は、好きなように歩いて好きなように進めるのです。

それは、僕(あなた)の人生だから。

 

 

 

 

 

邪魔してくる人は、ほっとけばいい。

 

挑戦したいことに対して、批判する人や否定する人のことはほっとけばいいと思います。

 

人生(レール)を歩いているときに、横や後ろから邪魔されてその度に向き合っていたらあなたの進む速度が下がります。

また、大切な時間が削られるでしょう。

 

冒険ゲームにたとえたら、歩いている途中にゴブリンが襲ってくるみたいなことです。

ほっとけばいいですが、どうしようもないときはゴブリンを倒すほどの力やメンタルは持つべきですね。

 

 

 

挑戦したいときややりたいときに、プラスになる言葉はどんな内容だとしても受け入れましょう!

だけど、否定的でマイナスなことを言われたりしたらほっときましょう。それは、あなたのためにならないからです。

 

 

 

 

 

おわりに

 

「生まれたときから、世間の普通というレールから外れてたな。」と気づかせてくれたきっかけは、あんちゃさんの「アソビくるう人生をきみに。」という本の中の一文でした。

 

その一文は、これ。

「常識」という名の敷かれたレールから外れた。

 

 

世間の普通というレールに乗る必要はない。

自分のレールを歩けばいい。 

 

 

 

現場からは以上でした。

では、また。

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